指が4本の理系女子大生

両手の指が4本ずつという障がいを持って生まれた私の、友達や家族には言いづらい意見や悩みを記していこうと思います。

母子家庭 不登校だった弟①


私の家族は、私と双子の弟、母親の3人家族です。

両親は約10年前に離婚して、関西から九州に引っ越してきました。


その時から今まで10年間、女手一つで私たちを育ててくれました。

一人で男女の双子を育てるなんて、想像を絶するような苦労の積み重ねだったと思います。


しかも、弟は中学2年から不登校となり、母親に暴力を振るうことや、テレビや棚などの家具を壊すことなども何度もあり、当時の家庭内は常に空気が張り詰めていました。


私は暴力的なった男を落ち着かせる方法も分からず、日に日に傷ついていく家具や、病んでしまう母を涙を流しながら眺めることしかできませんでした。


中学ではバドミントン部に所属しており部長を務めていたので、一生懸命部活に取り組むことが、私にとってのストレス発散方法となっていました。


弟の反抗期と不登校は、高校受験の時期になってもまだ続いていました。


私は家庭内のストレスを強く感じながらも、担任の先生が強く勧めてくださった推薦で、学区内で2番目に偏差値の高い公立高校への進学が決まりました。


一方、弟の進学先は県内で最も偏差値の低い私立高校でした。


母子家庭で経済的な余裕は全くないため、私立高校の学費は全額奨学金でまかなうこととなりました。


この頃の母は精神科でうつ病と診断されるほど、精神的に疲弊していました。


高校に入学し、新しい環境となって弟が再び学校に通い始めることを期待していましたが、やはり弟にとっても学校という場が苦痛に感じるようで、不登校は改善されませんでした。


母も私も、とにかく弟に人並みの生活を送ってほしいという一心で、弟の気持ちも考えずに毎日学校へ行くよう説得を続けていました。


そのようなお互いにとって辛い日々が半年ほど続いたあと、ある音楽学院のチラシを見つけました。


その音楽学院は通信制の高校と提携しており、卒業と同時に高校卒業資格も手に入れられる学校でした。


この学校との出会いが、弟の人生を大きく変えることとなりました。

                                           つづく